前回の記事にて、大人としての責任について触れたが、もう少しこの点を掘り下げてみたい。
人間が無意識にも"良い所取り"をしてしまう背景には、実は責任への恐怖がある。『全ての事象に責任を取らされてはたまらない。』という恐怖だ。もし、そのようなことになったら、忙しくて自分が楽しむ時間など取れず、しかも損ばかりをしてしまうではないか、という具合だろう。
確かに、全ての事柄への責任を取ろうとしたら、会社で組織改革や業務改善など全てのプロジェクトを率先して進める一方で、プライベートではPTA活動や、ボランティアの行政参加、果ては、GWに海外出張して難民を救ったり・・・となる。まさに寝る間もない生活な上、そこまでしても個人で取れる責任などたかが知れている。
こう考えると、多くの人がなるべく責任から逃れたくなるのも分からなくはない。しかし、ここに大きな勘違いがあるように思う。重要なのは『責任を取る』ことではなく『責任がある』ということではないだろうか。この両者は同じようでまるで違う。
全ての責任を1人で背負い込むことなど当然無理だ。ではなくて、まずは『責任がある』と思うだけでよいのではないかと思う。もちろん全ての事に自分にも『責任がある』というスタンスだけでは、日常の行動は何も変わらず、問題も特に解決しないかもしれないが、少なくとも多くの人の人生に大きな穏やかさを与えてくれる。不平不満・文句のない人生だ。これだけでも大きな価値があるのではないかと私は思う。
更に言うと、実は『責任を取る』ことも可能だ。しかし、これは68億分の1の責任でいい。なにも全て背負うことはない。そもそも到底背負えるわけがない。
全ての人が、全ての事柄に対して、68億分の1の責任を取る世界。
責任の取り方や分野は人それぞれかもしれないが、そのような世界が作れれば、我々は幸せに包まれるだろう。贈与経済に近い思想かもしれない。
もはや、カリスマ的なリーダーに全責任をなすりつける時代は終わったのではないか。今後は全員の背中に責任を背負う、分け合う時代になるのではないだろうか。しかし、これは何も辛い世界ではない。責任を背負うということは主体的であることを意味し、様々なことに捕らわれて自分を見失った多くの人は、再び解放されることになる。その世界では、仕事も家庭も勉強も政治も人間関係も、自分を縛る鎖ではなくなる。
これから先は、多くの人が、失った誇りや愛や幸せや、そして何よりも自分自身を取り戻す時代になるのではないかと思う。そのような時代を作る一環として自社の組織作りを意識している。
人間が無意識にも"良い所取り"をしてしまう背景には、実は責任への恐怖がある。『全ての事象に責任を取らされてはたまらない。』という恐怖だ。もし、そのようなことになったら、忙しくて自分が楽しむ時間など取れず、しかも損ばかりをしてしまうではないか、という具合だろう。
確かに、全ての事柄への責任を取ろうとしたら、会社で組織改革や業務改善など全てのプロジェクトを率先して進める一方で、プライベートではPTA活動や、ボランティアの行政参加、果ては、GWに海外出張して難民を救ったり・・・となる。まさに寝る間もない生活な上、そこまでしても個人で取れる責任などたかが知れている。
こう考えると、多くの人がなるべく責任から逃れたくなるのも分からなくはない。しかし、ここに大きな勘違いがあるように思う。重要なのは『責任を取る』ことではなく『責任がある』ということではないだろうか。この両者は同じようでまるで違う。
全ての責任を1人で背負い込むことなど当然無理だ。ではなくて、まずは『責任がある』と思うだけでよいのではないかと思う。もちろん全ての事に自分にも『責任がある』というスタンスだけでは、日常の行動は何も変わらず、問題も特に解決しないかもしれないが、少なくとも多くの人の人生に大きな穏やかさを与えてくれる。不平不満・文句のない人生だ。これだけでも大きな価値があるのではないかと私は思う。
更に言うと、実は『責任を取る』ことも可能だ。しかし、これは68億分の1の責任でいい。なにも全て背負うことはない。そもそも到底背負えるわけがない。
全ての人が、全ての事柄に対して、68億分の1の責任を取る世界。
責任の取り方や分野は人それぞれかもしれないが、そのような世界が作れれば、我々は幸せに包まれるだろう。贈与経済に近い思想かもしれない。
もはや、カリスマ的なリーダーに全責任をなすりつける時代は終わったのではないか。今後は全員の背中に責任を背負う、分け合う時代になるのではないだろうか。しかし、これは何も辛い世界ではない。責任を背負うということは主体的であることを意味し、様々なことに捕らわれて自分を見失った多くの人は、再び解放されることになる。その世界では、仕事も家庭も勉強も政治も人間関係も、自分を縛る鎖ではなくなる。
これから先は、多くの人が、失った誇りや愛や幸せや、そして何よりも自分自身を取り戻す時代になるのではないかと思う。そのような時代を作る一環として自社の組織作りを意識している。