楽しく幸せな会社組織づくりのすすめ

100社以上の中小企業支援実績がある中小企業向け組織変革コンサルタント信國大輔が、社員をヤル気にさせるビジョン生成法や、強みにあわせた適材適所の実現など組織づくりに役立つ実践的なテクニックをご紹介します。

2010年03月

68億分の1の責任があることを感じる。

前回の記事にて、大人としての責任について触れたが、もう少しこの点を掘り下げてみたい。

人間が無意識にも"良い所取り"をしてしまう背景には、実は責任への恐怖がある。『全ての事象に責任を取らされてはたまらない。』という恐怖だ。もし、そのようなことになったら、忙しくて自分が楽しむ時間など取れず、しかも損ばかりをしてしまうではないか、という具合だろう。

確かに、全ての事柄への責任を取ろうとしたら、会社で組織改革や業務改善など全てのプロジェクトを率先して進める一方で、プライベートではPTA活動や、ボランティアの行政参加、果ては、GWに海外出張して難民を救ったり・・・となる。まさに寝る間もない生活な上、そこまでしても個人で取れる責任などたかが知れている。

こう考えると、多くの人がなるべく責任から逃れたくなるのも分からなくはない。しかし、ここに大きな勘違いがあるように思う。重要なのは『責任を取る』ことではなく『責任がある』ということではないだろうか。この両者は同じようでまるで違う。

全ての責任を1人で背負い込むことなど当然無理だ。ではなくて、まずは『責任がある』と思うだけでよいのではないかと思う。もちろん全ての事に自分にも『責任がある』というスタンスだけでは、日常の行動は何も変わらず、問題も特に解決しないかもしれないが、少なくとも多くの人の人生に大きな穏やかさを与えてくれる。不平不満・文句のない人生だ。これだけでも大きな価値があるのではないかと私は思う。

更に言うと、実は『責任を取る』ことも可能だ。しかし、これは68億分の1の責任でいい。なにも全て背負うことはない。そもそも到底背負えるわけがない。

全ての人が、全ての事柄に対して、68億分の1の責任を取る世界。

責任の取り方や分野は人それぞれかもしれないが、そのような世界が作れれば、我々は幸せに包まれるだろう。贈与経済に近い思想かもしれない。

もはや、カリスマ的なリーダーに全責任をなすりつける時代は終わったのではないか。今後は全員の背中に責任を背負う、分け合う時代になるのではないだろうか。しかし、これは何も辛い世界ではない。責任を背負うということは主体的であることを意味し、様々なことに捕らわれて自分を見失った多くの人は、再び解放されることになる。その世界では、仕事も家庭も勉強も政治も人間関係も、自分を縛る鎖ではなくなる。

これから先は、多くの人が、失った誇りや愛や幸せや、そして何よりも自分自身を取り戻す時代になるのではないかと思う。そのような時代を作る一環として自社の組織作りを意識している。

「主体性」と「良いところ取り」

究極の主体性とは、たとえば「アフガニスタンの内紛すら、自分にも責任の一端がある。」と考えられるかだろう。つまり、世の中の全ての事象に対して責任を感じる意識ではないかと思う。私は、そのような主体性を持つ人だけが真の"大人"と呼べるのではないかと考えている。

では、それを大人と定義した場合に、一体どれほどの人が大人と呼べるだろうか? もしかしたらほとんどいないのかも知れない。これを書いている私も、真の大人かと言われれば疑わしい。

我々は日常生活において、それが仕事であれ私生活であれ、いろんな場面でどうしてもついつい「良いところ取り」をしてしまう。「自分の好きなようにしたいが、社員に責任感を求める社長」だったり、その逆に「自由にしたいが責任は取りたくない社員」だったり、「市の施策が悪いといいながら、自分は行政に関わろうとしない市民」や、「自分の稼ぎを横において、妻の家事に文句を言う旦那」、「誰も理解してくれないとぼやく、人の気持ちを考えない人」と、例を挙げればきりがない。

選択には、常にメリットとデメリットが、いわば光と影のように切っても切れない関係として存在し、自分の選択に責任を持つということは、そのどちらもを自分の責任として受け止めることだ。よって、メリットだけを享受し、デメリットに文句を言う、「良いところ取り」は、主体性とは真逆の精神だ。わがままな子供と対してかわらない。

にもかかわらず我々はこの甘美な誘惑に負けてしまい、たちが悪い事に無意識にそれをやってしまっている。なぜなら大多数の人が当たり前のように「良いところ取り」をやっているから気づきにくいのだ。

しかし、実ははっきりと明確に気づけるポイントがある。「愚痴」「不満」「文句」「憤り」を感じた時である。これらを感じた時は必ずといって良いほど「良いところ取り精神」が自分の中に存在している。もし、世の中の全てのことに責任を感じているのなら、「愚痴」や「不満」は言えないからだ。

「だから世の中の大人は駄目なんだ」と批判したくてこれを書いているわけではない。前述したが、えらそうに書きながら、私自身もその「良いところ取り」を日々気づかずにやってしまっているまだまだ駄目な大人の1人である。そもそも偉そうに言える立場にない。

ただ、できるだけ多くの人とその至らなさを認め合い、互いに切磋琢磨しながら高めあいたいと願っている。自分を含め、世の中の人々の主体性が低いのは、私にも責任があるのだから。

私には子供が3人もいる。子供達を見ていると、なるべく良い世の中を残してあげたいという思いに駆られる。せめて今を生きる大人として、真の"大人"とはどういうものかを、体現して伝えてあげたい。
組織変革コンサルタント 信國 大輔
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