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2014年11月

本当のわがままとは?

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自分らしく自然体で生きようとする時、「わがまま」というのをネガティヴに捉えていると難しくなります。

「わがまま」は人の迷惑を省みず利己的という意味で使われていることが多いですが、本当のわがままは、ありのままに生きることで、もし心からありのままに生きたとしたら、自他共に愛に満ちて、周りへの気遣いもちゃんとできるようになります。

なぜなら本当のわがままとは自分を愛して大切にすることで、いたずらに他人を不快にさせたり傷つけることは、自分の心も傷つけることになると我々の心は知っているからです。

逆から見れば、利己的で周りの迷惑を省みない人というのは「自分らしくわがままに生きていない人」と言えます。そして本当に一番深く傷ついているのは周りではなくその人自身だったりします。


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鎧という名の親の愛

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我々の心が苦しめられるとき、多くの場合は、その人が身につけている常識や信念や思い込みという鎧が原因だったりするわけなんですが、これらは親からもたらされているケースがほとんどです。具体的にそれらの鎧を書くとすれば、たとえば「早くしなさい」「わがまま言うんじゃない」「我慢しなさい」「他人様に迷惑かけるな」「泣くな」「騒ぐな」「悪い事するとバチが当たる」「人を簡単に信用するな」・・・そんなところでしょうか。

小さい頃に強い鎧を着せられた人は、大人になってもそれがつきまとい、あらゆる場面で心を苦しめます。「早くしなさい」が強すぎれば、いつも焦燥感に駆られ、おだやかに心落ち着かせることが難しく、「我慢しなさい」が強すぎれば、いつまでたっても我慢してしまい本当にしたいことが見えなくなり、「泣くな」が強ければ、ネガティブな感情を上手に人前でオープンにできなくなって孤独感を感じたり、「バチが当たる」が強すぎれば、いつもあらゆる場面で罰に怯えて生きる人生になります。

実はこの鎧というのは、この狂った世の中で生きていくための処方箋でもあったりします。この鎧があるから、危険でいっぱいの世の中で知識も力も乏しい子供が生きていけるとも言えるのです。もし、この処方箋がなかったら、我々は、ノロノロと行動し、わがままを限度を知らず言って、人の迷惑を気にせず、泣きじゃくったり、騒いだり、いたずらをしたり、簡単に知らない大人を信用してしまったりするわけですから、鎧にも意味があるというのはわかっていただけるのではないかなと思います。

ところが、親も我々もこの鎧の脱ぎ方を知らないので、そろそろ知識も力も持って自力で生きていける大人になっているというのに、いつまでも鎧を着たままになっているところに一番の問題があります。

この構造を知らなくても、なんとなく心では気づいているため、そんな育て方をした親を恨んでいる人も少なくありませんし、もしくは、大人になっていて表面上は「タダで育ててくれたんだから文句いうのはおかしい」と頭で無理やり納得させていますが、その奥でひっそりと恨みの念を心の奥底に抱えている人もいます。

では親は子供を苦しめるために鎧を着せたのでしょうか。親の顕在意識としては色々事情がありそうですが、少なくとも親の心の方は子供を苦しめるつもりなど露ほどもないと思います。むしろ狂おしいほど愛しているというのが本当の真実でしょう。我々の親の心は、本当はずっと抱きしめて愛したい子供に泣きながら鎧をつけたのでしょう。言葉にするとこんな感じでしょうか。

ごめんね。
苦しいよね。

私のことは恨んでいいから立派に育ってね。

あなたがいつか無事大きくなったら、
いつかこの鎧を脱いで幸せに生きてね。

あなたの幸せだけを心から願ってる。

我々を苦しめるこの鎧は、小さい頃我々を守ってくれた親の愛でもあるのです。それを知ることは、親を赦し、自分を赦し、親の願いであった鎧を脱いで幸せに生きることに繋がっています。


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約束という鎖、裏切りという幻想

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「裏切り」という行為は、本来自然な状態では存在しません。それは、我々の思考が作った「約束」という鎖から生み出された幻想です。これは言語を持たない野生動物を想像してみるとわかりやすいと思います。

たとえば、獲物を狩ろうとしている二匹のライオンがいたとします。なんとなく意思疎通して、「あ、こいつも獲物を狩ろうとしてるなら協力してやったほうがいいな。」とお互いに思い、最初は協力して餌である鹿などを追い詰めたとします。

ところが、二匹のうちの一匹のライオンは途中で水たまりを見つけたので、のどが渇いていたことを思い出し、水を飲むため途中で狩りをやめてしまいました。そして、もう一方は、もう少しのところで相方がいなくなったので餌を取り逃がしたとします。

この時、餌を取り逃がしたライオンは何を感じるでしょうか?裏切られたと感じるでしょうか?いえいえ、そんなことはありません。なぜならそもそも二匹は約束などしていないからです。ですので、「おいおい、勘弁してくれよ。」と嘆くことはあっても、「あいつ裏切りやがって!」と怒り狂うことなどありえないのです。

我々は、不測の事態を極力防いで安全性を高めるため、あるいは効率を上げるため、「約束」というツールを作りました。この「約束」というツールは、いろんなカタチに変化して、「社会常識」「法律」「罪」「社則」「結婚」「風習」などなど、我々の生活のありとあらゆるところに蔓延していきました。

それらによってたしかに我々はある一定の秩序を手に入れました。しかし一方でそれは、我々を縛る鎖にもなりました。そして、我々は裏切りを常に恐れ、裏切ることに怒り、さらに完璧な秩序を求めるがあまり、我々自身をがんじがらめにしてしまったのです。

いつしか我々は、そのあまりに増えすぎた鎖のせいで、お互いがお互いを縛りあってしまい、素直にしたいことがしたいと言えない・できない状態を作り上げました。それどころか、自分たちが本当にしたいことをできていない状況すら認識できなくなっていきました。

数千年前の時代からすれば、今は天国のような時代だと思います。ほとんどの人は好きなものを毎日食べられて、高度な治療もうけられ、清潔な環境で生活でき、TVやゲームやインターネットや遊園地など様々な楽しみも増えました。にもかかわらず、我々の心は苦しみ続けています。

もう効率も安全性も十分高まりました。我々が遥か昔に望んでいた土台はほぼ完成したのではないでしょうか。今後、我々が本当に注力すべきは、この「約束」という鎖を1つずつ1つずつ断ち切っていって、「裏切り」という幻想を捨て、せっかくの土台を活かして素直にしたいことをすることなのかもしれません。

これまでの常識や罪や規則や風習に囚われず、本当にしたいことを・・・。
その先にこそ、本当の我々の幸せが待っているように思います。

私はその中で、「労働」における数々の鎖を断ち切るために日々動いています。


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罪と罰

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素直にしたいことをするという心の欲求に従う時、大きな障害となる1つが「罪悪感」です。世の中には良い事と悪い事があり、悪い事、すなわち「罪」を犯すと罰せられる、バチが当たるという考え方です。

我々が罪と捉えてるものは人によって違いますが、たとえば代表的なものとしては、「贅沢をする」「わがままを言う」「嘘をつく」「人を傷つける」「複数の人と恋をする」「働かない」「片付けない」「いい加減にやる」「時間を守らない」「家族を守らない」といったところでしょうか。

罪の意識があるので、それに払拭することを我慢し、本当はやりたくないことを頑張ります。そしてそれができないと(=罪を犯すと)、「罰を受けなければならない」と思って、必要以上に自分を攻撃し嫌悪します。悪い自分が幸せになることなど許せませんから、楽しいことや幸せなことを遠ざけて感じないようにしてしまいます。

さらに、自分への攻撃だけでは満足できなくなるとやがて他人も攻撃しはじめます。心理学的には「投影」という行為ですが、「自分は悪い」という思いを周りのものにも投影させ、何かを批判したり攻撃したりします。そして、攻撃した自分はさらに罪を重ねることになり、罪悪感を重ねてどんどん苦しくなっていきます。

実はこの「罪悪感」や「罰」は、我々の思考が作り出した幻想です。本当は「良い事」も「悪い事」も存在しておらず、「したい事」と「したくない事」だけが存在しているのですが、以前の投稿で書かせていただいた「恥」の感情と同様、古くから存在する根深い感情であるため、じっくりとじょじょに解除していく必要があります。焦りは禁物です。

「罪悪感」の罠を解除する上で、一番最初にやることは、先に挙げたように、そもそも悪い事やそれに対する罰など幻想だと知ることです。そして自分を赦し、自分が無罪であることを認めてあげてください。あなたがあなた自身を愛してあげることが「罪悪感」のバッドスパイラルを解除する鍵になります。

自分に赦されたあなたは、これ以上自己嫌悪する必要がなくなります。自己嫌悪しなければそれを他者に投影して攻撃する必要もなくなります。罰を恐れてやりたいことを我慢し、やりたくないことを頑張る必要もなくなります。

やがて、あなたは本来あなたがやりたかったことを自然体で素直にやり、自分を赦すことで周りも赦し、感謝し、おだやかさを手に入れ、いつしか楽しく幸せな生活へと戻っていくでしょう。

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安心して心の欲求に身を任せる

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「したい」という気持ちは心が生み出すわけですが、前にも書いたように心の本当の目的というのは、あらゆる方面で心を完璧にしていくことであり、おそらくは純粋な愛そのものに近づこうとし続けます。

このような心の働きは、時として現実世界においては危険をもたらすため、我々は安全性をなるべく確保できるように思考という制御ツールを手に入れ、これによって文明や社会やルールができあがりました。

ところが、本来ツールにしか過ぎなかった思考が増大し、心を発展させるために安全性を確保したのに、安全性を確保するために心の発展を妨げるようになりました。別の言い方をすれば、幸せになりたくて生きているのに、生きるために幸せを放棄しているとも言えます。そして、もはや何が目的だったのかすら分からなくなり、いつしか迷走の時代に突入しました。

我々の心が奥底で求めているのは、本来の目的を取り戻すことです。そしてまた心を完璧に近づける、完璧な愛そのものへと近づける営みに集中したいと願っています。

それ以外は心にとって全て手段にしかすぎないので、深いレベルの心の欲求というのは、顕在意識からするとかなり無茶苦茶な要求だったりします。純粋に「したい」と思う内容が、今の常識的・倫理的に許されることではなかったり、人に迷惑をかけることだったり、顕在意識としての自分が嫌がることだったりするわけです。

この動きを表層的に思考で捉えると恐怖ゆえに苦しみます。今まで安全を象徴する思考に頼ってきた我々には、それは危険をはらんでいるように見えるからです。ただ、ここで思い出してほしいのですが、冒頭に書いたとおり、我々の心はむやみやたらと変化したいわけではなく、純粋な愛そのものになることを望んでいるという点です。それは我々の本当の幸せにとてもうまい具合に繋がっています。よって本当はそれを信頼し、心の欲求に身を任せて安心して生きていればいいというのが真実だと思います。

心理学では、我々の無意識層はみんな繋がっているそうです。つまり心の働きは個々人に閉じたものではなく、我々のコミュニケーションや行動全てを裏でコントロールしていると言えます。一見すると怒りや悲しみにしかならない出来事も、実は心と心がアイコンタクトで絶妙なパスとシュートを行っているのであって、全ての欲求・言動・出来事は、我々の本当の幸せに繋がっている、我々はその暖かなゆりかごの中で生きているのかもしれません。

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心について

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■心が先
心が先、思考が後。右脳が先、左脳が後。やりたいが先、やらなければは後。順番を間違うとどんどん生きる意味を失っていきます。にもかかわらず、順序が逆転してる人が溢れてるのが今の時代。僕らの仕事は、本人がアクセスしにくくなった心を感じ取り、思考の動きを制して、順番を正常な方向へと導く事のように思います。

■今を生きる
先のことを考えられる思考と違って、心の声はその時しか聞こえません。つまり「今を生きる」とは心の声に従って生きるということを意味します。その時に、前に思考で決めた計画を遵守しようとすると「やりたい」ではなく「仕方なくやる」ことになります。ですから、計画通りに進めるかどうかはその時になってみないとわからないというのが、本当の意味で心に従って生きるということです。もちろん仕方なくやることも最低限必要な時もあります。ただ、過去の自分との約束ばかりを重視すると、今の自分の心を無視して、結果、やはり今を生きる意味を失います。今この瞬間に何を感じているか?なにがしたいか?それが心へのアクセスを復旧させる大事なポイントのひとつになります。

■自分を変える
自分を変えていこう、自己変容しよう、とする際に、それを思考で捉えようとするとかえって苦しみます。なぜなら自己変容とは思考の呪縛から心を解放する行為だからです。その行為を思考で捉えようとするならば、それは自分で自分を殺すこととなり、当然苦しみます。そういう意味では思考こそが心に苦しみを生み出す源泉とも言えます。苦しまずに望む自分に変わりたいなら耳を澄まして心で感じること、できるだけ思考を置き去りにすること、それがとても重要です。

■自分からの手紙
我々は、前に自分で書いたブログや日記を読んで、逆に気づかされたりすることがあります。その時に書いた意図よりも深い気づきを自分の文章を読み返して気づくことがあります。なぜなら、実は我々は思考で話したり書いたりしているようにみせて、心にそれをこっそりコントロールされていたりするからです。自然体で感じるままに書き綴ったりすればするほど、それは心からのメッセージをたぶんに含んだ「自分からの手紙」になります。

■生きる喜び
我々が望むと望まざると、心は変わり続けることを求めています。ユング心理学で言われる心にとっての「自己実現」とは、夢を叶えることではなく、感情的にも論理的にも感覚的にも直感的にも完璧になることを意味し、それを実現するために心は我々に働きかけます。たとえば、自分とは真逆のタイプを好きになるのは、心が自分にはない部分を相手から学ぶことで完璧になろうとする働きの影響であって、これを「心の相補性」と呼びます。変化することは思考としては怖いので、この心の欲求に逆らって生きること、すなわち変化しないこと・過去に囚われることを選択する人もいますが、それを選び続けていると、心はどんどん冷え切っていって、振動しなくなり、つまらない屍のような人生になります。変化しつづけることは生きる喜びであり、振動して変化するためにこそ我々は生きているとも言えます。

■楽しんで変わる
遊園地にいろんな乗り物があるように、自己変容するといってもいろんなスピードや回転や動きがあります。なのでいくら変化することが大事といっても、無理して激しい絶叫マシンにいきなり挑戦する必要はありません。(どうしてもしたければしてもいいですが。。)せっかく楽しむためにつくられたアトラクションなのですから、今の自分が心地よいスピードや回転や動きを選択していくことも大切です。ただ、同じ乗り物ばかりに乗っていると慣れてきてつまらなくなりますから、いつまでも新鮮なワクワクする人生を味わいたければ、自分のペースでじょじょにハードルをあげていくと良いと思います。まあ、最後は結局絶叫マシンに行き着くわけですけどね(^_^;)。でもそれは楽しいから乗るわけで修行だから乗るわけではありません。



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ジェットコースター

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元々僕は絶叫マシンが苦手で、さらに妻も苦手なので、遊園地に行ってもまず乗ることはありませんでした。ところが、誰に似たのか長女は絶叫マシンが大好き。数年前あたりから付き合わされることが増え、最初は内心泣きながら一緒に乗ってました。しかし。不思議なことにある日を境にわりと絶叫マシンが好きになったのです。

きっかけは、よみうりランドという東京にある遊園地に行った時に起こりました。その日、乗り放題のワンデーパスポートを手に入れた長女は、それはもう嬉しそうにジェットコースターに並びはじめました。で、いつものごとく当然僕も付き合わされて一緒に乗りました。

やがて順番が来てジェットコースターに乗り込み、恐怖に耐えること数分。。やっと恐怖の時間が終わったかと思いきや、なんと長女はまたジェットコースターに並び直します。そして、2回目がはじまり、また並び直して3回目・・・。その時思いました。「だめだ、これはもう観念して慣れて楽しむしかないな」と。

それまで僕はジェットコースターやバイキングのような絶叫マシンに乗る時は、とにかく怖いので身をこわばらせて必死にその恐怖に耐えるというような乗り方をしていたわけなのですが、観念した後にとった行動としては、とにかく脱力で「もう好きにして」という感じで乗ってみたのです。すると不思議なことに逆に怖くない。あんなに怖い怖いと思っていた落ちる瞬間が怖くないどころか、むしろ少し楽しくさえ感じるようになりました。

その時にはっと気づいたのです。そうか、怖いことから逃げようとする想いが必要以上の恐怖を生み出すのかと。

我々がなにか新しい気づきを得て自己変容しようとするとき、元々持っていた常識や信念が強いほど、変化するときに苦しみます。しかし、自分らしい幸せな人生を歩もうと思うとどうしてもこの苦しみは避けて通れません。

そんな時に、「苦しみたくない。逃げ出したい」と思うと、ジェットコースターと同じくどんどんその苦しみや恐怖は強くなります。「人生は修行みたいなものだから仕方がない」と我慢するアプローチもありますが、これもまた多少耐えられるだけで楽しいとは程遠くなります。

まずは苦しみを受け入れること。「もう好きにして」という具合に脱力した感覚でいること。もう一つは、それは実は楽しみでもあるということに気づくこと。変化し続けるからこそ楽しいのです。意表をついた急カーブや落差があったり、回転したり、そういうことが人生に起こるからいつまでも新鮮な気持ちで生きていられるのです。人生をジェットコースターそのものとして捉えると急に人生の全てが楽しいものに見えてくるでしょう。

我々は好き好んでこの面倒くさい大変な世界に生まれてきました。どんな激しい落差が待ってるんだろう?どんな急カーブがあるんだろう?と胸を弾ませながら。。ワクワクしながら。。人生に起きる全てのことは、本当は我々を楽しませるためのアトラクションなのかもしれません。

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事業推進COO代行 信國 大輔

事業推進COO代行

株式会社びりかん代表取締役
信國 大輔(のぶくに だいすけ)

1977年生まれ。福岡県出身。地元の企業に就職するも東京転勤をきっかけに2004年12月株式会社ライブドア入社。斬新な企画により事業の収益を大きく伸ばす。

同社退社後、数年間フリーでコンサルタントとして活躍した後、2007年に株式会社びりかんを設立。過去の経験を活かし、ベンチャー・中小企業総合支援・代行サービスを開始。「倒産寸前の零細企業をわずか3ヶ月で月商を7倍まで引き上げV字回復」「数名規模のITベンチャーを支援して同じく毎月赤字状態から半年で黒字化、わずか5年でマザーズ上場を達成」「中小の通販会社で組織づくりを支援し、幹部陣を成長させて自走する組織を作り上げ、毎年140%の業績アップを実現」など数々の成功実績を持つ。

これまでに支援した企業は100社を超え、また、開催したセミナーやワークショップののべ参加人数は3000名を超える。

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