耳を塞いでいる人に、それでも伝えるべきか、本人が受けとめられる程度の言葉に留めて、あとは見守るべきか、この見極めが非常に難しい。何度か頑張って伝えたこともあるが、人間はそういった確信に触れられると怒り、さらに耳を強く塞ぐ。

現状では、自分はその場合「黙って静かに見守る」を選択する傾向が強い。良い言い方をすれば、相手がその障害をきっといつか自力で乗り越えられると信じて待つ感じだが、悪い言い方をすれば、冷たい対応なのかもしれない。

耳を塞いでいる相手に対して頑張って気づかせるより、耳を傾けている人を探して気づかせる方が、限られた命をより有効に使えるという考え方も持っている。耳を塞いでいる相手は、今はまだその時ではないと考え、他の人への対話へ力をシフトする。。

そうすると、まれに耳を塞いでいた相手が、痛い目を見て、勝手に成長している時がある。殻を破りかけている時がある。ここぞとばかりに対話する。そんな時が一番涙が出るほど嬉しい瞬間だ。

人によっては、相手が耳を塞いでいても、かまわずとことん真剣に対話して行動し、それによって相手に耳を開かせる人もいる。むしろ一生懸命な人ほど、熱く対話しようとする。僕のまわりにはストイックな人が多いのでそういうタイプの方が多いかもしれない。そういう熱い人達をすごいなと思うし尊敬もする。

たまに自分が間違ってるのかな?と思う時もあるが、「間違っている」のではなくて「違っている」だけかなとも思う。簡単に答えが出せるほど、この課題は易しくない。。。僕は僕のやり方で、多くを体験しながら探求し続けていこうと思う。