「ビジョンがなかなか浸透しない。」
「想いが伝わらない。」
「いまいち自分の考えを理解してもらえない。」

そういった言葉は、いろんな会社の経営者あるいはスタッフからよく耳にします。夫婦間でもありますね。しかし、よくよく聞いてみると、そのように嘆いている人の多くは、実は対話量が単純に少なすぎるというケースであるように思います。

たとえば、経営者であれば、本人は伝えているつもりのようですが、年に数回程度の全体朝礼でビジョンを少し話す程度だったり、下手すると「ホームページに書いてあるから読めばいいだけなのに・・・」と思っていたり。社員間でも、「一度前に説明した。」とか、「資料に書いてある」とか。。

多くの人が十分と考えている対話量と、本来効果を発揮するために必要な対話量に大きな差があるように思います。

では、どれぐらいの対話量が必要なのか?

私は、もし本当に想いを伝えたければ、そして自分を理解してほしければ、「同じような内容について最低1,000回の対話と探究を繰り返す覚悟」が必要なのではないかと思います。

自社の例で言うと、いまでこそ多少なりとも「びりかん」が何を目指していて、それがどういう未来を創造するかについて、ほとんどのスタッフは共感してくれて、いろんな場面で自発的に動いてくれていますが、このような状態を作り出すために、それはもう徹底的に対話をし続けました。

毎月1回の丸一日研修は、もう1年以上も続けています。スタッフから「多すぎるのでは?」という声があがっても、愚直にペアインタビューやダイアログを何度も何度も繰り返しました。もちろん研修の場だけにとどまらず、打ち合わせの合間や、飲み屋や、電話やメールでのやりとりや、社内SNSで、とにかく愚直に対話し続けました。

自由と責任とはなにか?
多様性とはなにか?
幸せとは何か?
なぜ対話するのか?
相互理解とはなにか? 常識とはなにか?
どういう働き方が我々にとって幸せなのか?
このルールは本当に我々に必要か?
我々はなんのために集まっているのか?
理想の未来とはなにか?
その事業は儲かるのか? そして楽しいのか? 我々がやる意味は?
人間はなぜ飽きるのか?

根本的な話から、目先の細かい話まで、疑問やすりあわせが必要な場合は、とにかく対話しました。

面白いことに、ありとあらゆるテーマについて対話と探究を繰り返していくと、いろんなことがつながっていることに多くのスタッフは気づきはじめました。そして、対話を続ければ続けるほど、そのつながりはより複雑になってみんなの頭の中に自然と構築されていき、いつしか我々は、非常に高度な対話と探究ができる組織へと変貌していったのです。

おそらく我々はまだまだ進化し続けます。
我々が対話をやめない限り・・・。

これからも、1,000回、10,000回、1億回の対話と探究を愚直に続けていくつもりです。
世の中のありとあらゆる答えは、その中に眠っているのだから。。。