昨日友人と食事をしていて、「恩を返す。」と言うことについて話す機会がありました。たとえば「親から育ててもらった恩を返す」などです。その話の中で、「恩って本当に返せるものなのか?」という話になったのですが、これはとても色々なことを気付かされる話でした。
なぜなら、我々は親だけでなく、本当に多くの御恩の上に生きているからです。水道や電気、道路などの生活インフラが整っていることも当たり前ではありませんし、色々問題があるとはいえ政治家のみなさんに運営いただいてこんなに安全な国が成り立っていることも当たり前ではありません。医療だって先人達の血のにじむ努力がなかったら我々はいまだにちょっとした病気で苦しみ続けていたでしょう。貨幣がなければ未だに面倒な物々交換をしてたでしょうし、資本主義経済がなければ、高度な文明社会は得られなかったかもしれません。
いわば我々は、何千何万何億という信じられないほど莫大な恩恵の上に生活していて、「恩を返す」という気概はもちろん素晴らしい心構えであるとは思うのですが、同時に、そのどう頑張ったって返しきれない莫大な恩恵というのを、もしかしたら忘れている証拠とも言えるかもしれないのです。
「恩を返す? ばかいってんじゃないよ。w 返しきれるわけないでしょ。 そんなことはいいから、あんたはとにかく感謝して幸せに生きなさい。」
そんな天からの温かい声が聞こえてきそうですね。
なぜなら、我々は親だけでなく、本当に多くの御恩の上に生きているからです。水道や電気、道路などの生活インフラが整っていることも当たり前ではありませんし、色々問題があるとはいえ政治家のみなさんに運営いただいてこんなに安全な国が成り立っていることも当たり前ではありません。医療だって先人達の血のにじむ努力がなかったら我々はいまだにちょっとした病気で苦しみ続けていたでしょう。貨幣がなければ未だに面倒な物々交換をしてたでしょうし、資本主義経済がなければ、高度な文明社会は得られなかったかもしれません。
いわば我々は、何千何万何億という信じられないほど莫大な恩恵の上に生活していて、「恩を返す」という気概はもちろん素晴らしい心構えであるとは思うのですが、同時に、そのどう頑張ったって返しきれない莫大な恩恵というのを、もしかしたら忘れている証拠とも言えるかもしれないのです。
「恩を返す? ばかいってんじゃないよ。w 返しきれるわけないでしょ。 そんなことはいいから、あんたはとにかく感謝して幸せに生きなさい。」
そんな天からの温かい声が聞こえてきそうですね。